第95話    「延べ竿の釣り」   平成18年01月29日  

自分が主に延べ竿を使っていたのは大学の三年生の頃までであった。
その延べ竿は本港(新井田川)と最上川を分断し西に長く突き出した南突堤で使っていた。二間二尺余のその延べ竿を自転車に乗り片手で軽く握しめ肩に乗せて運んだ。当時バイク等と云う高級な乗り物は商用の人たちの足となっており、釣りの為にわざわざ自家用バイクを持つ人は、商人以外高給取りの極々一部の人でしかなかった。だから大半の釣人たちはマイ自転車に乗って、自分の足を使っての釣りとなる。当然長い竿は運ぶのに不便をきたしていた。

学生の身分の私には、高級な長竿の継ぎ竿や中通し竿など買えよう筈もなかった。だから面倒でも片手で竿を担ぎ、自転車を一生懸命に漕いで片道35~40分もの時間をかけて当時の南突堤の先端付近まで出かけるしかなかった。それでも三間半(6.3m)から四間(7.0m)の長くて重い竿を肩にかけて担いで来る強者(つわもの)も多かった。まだマイカーなど云うものは普及してなかった頃の時代であるから、長竿の延べ竿を担いで自転車に乗っても交通の妨げにもならなかった優雅な時代である。お金に余裕のある釣り人は、手持ちの竿を継ぎ竿に改造して紐で縛り背中に背負い運んで来る。その為に多くの名竿の価値を激減させてしまったが、所詮使っていくらの竿であるから使わないで仕舞って置くのも勿体ない。好事家の中には、嘆く者も居たが、時代の趨勢が変わってしまったのだから、それも良しとするしかなかった。

大半の釣具屋自体も竿の改造でお金になることであったし、客のニーズに答える形で喜んで竿の改造を行った。昭和三十年代の竿の販売の主体は、212尺までの短い竿を除き、延べ竿から真鍮パイプ螺旋継ぎの竿の時代へと変わって行く過渡期である。

七月中頃、梅雨の終わりを告げる大雨が降って適度な濁りの最上川の河口は数多くの黒鯛を岸の近くにおびき寄せてくれた。女鹿石が敷かれている底の浅い防波堤の付け根付近にある通称廊下と云われた場所での小型黒鯛の数釣は二間余の小竿でも十分に引きが楽しめた。軟らかな庄内竿に感ずる黒鯛独特の当たりは何物にも得難い感じである。まして尺クラスの黒鯛が釣れた時の感触は、竿が満月にしなる釣魚とのやり取りは釣人にとっては恍惚の域を超えるものである。その感触を得る為に、平物を専門に狙う人達が数多く存在していた。年若い自分もその一人である。どちらかと云えば長物(スズキ)を狙う人たちは、主としてウキ釣りで、シーズンになると最上川の流れに沿って1.5m位の間隔で歩く。その為にスズキが釣れると下手な人が釣上げると道糸が絡んで直ぐに大喧嘩になる。そこへ行くと平物派の人たちは一定の間隔を置いて静かに釣っているから、糸絡みも少なく、喧嘩なる事はほとんどなかった。また、濁りのない日は、一箇所に座り込んでの釣り等はせず、長竿を使って、黒鯛の居そうなポイントを探ぐる足で稼ぐ釣りとなる。平物派と長物派の両者を比較すれば平物派の人たちは争いを好まない平和主義者の釣り云える物であったと云う気がする。

釣り情報で釣れたと聞けば、直ぐに多くの人が集まる最近の釣り場では味わう事の出来ない釣りを経験してきた者にとっては、どうも最近の人ごみの中での釣りには中々馴染めない。人の少ない釣り場で、一人ゆったりと釣が出来る事が理想なのだが・・・・・。釣り人が増えて来たのだから、釣が出来る事だけでも幸せと感じつつ、それもしょうがないと諦めている今日この頃である。

最近では主にカーボン竿を使っての釣りをしているが、竹製の延べ竿の釣が懐かしい。2間一尺五分〜二尺(4.054.20m)位の延べの竹竿で何とか一尺位の黒鯛が釣りたい。リールを付けないでの釣りは、時間はかかるものの確かに面白い。魚とのやり取りが一対一でより多く楽しめる釣りでもあるのは確かである。今年は今作っている少し短い延べ竿で八寸五分クラスの三歳物を狙うつもりだ。最近の釣では、ある一定の条件が無ければ一尺を越えるものは中々岸近くには寄っては来ない。それで癖が付きやすいが思い切り柔らかな竿を作っている。元径が1センチ未満の長さ3.34mの竹の竿で挑戦するつもりでいる。ただただ竿の感触へのノスタルジーで・・・・・!

「釣りは釣り人にとって面白くなければ、釣ではない」と思うこの頃である。面白いと感じるように演出するのも、自分である。数だけの釣りは、そろそろ卒業にしたい物だ。価値のある一枚を求めて・・・・・!